2017年08月11日20:19

戦国時代の日本の農民は戦場で刀や鎧兜をガメって高く転売してたからな。家宝にもしてるし。

2 :名無しさん@涙目です。 ID:SU9Ts8PE0.net
落武者狩りもやってた
3 :名無しさん@涙目です。 ID:Tvc/ug6D0.net
戦場跡に行ったらいっぱい拾えただろうし
13 :名無しさん@涙目です。 ID:SU9Ts8PE0.net
タイムスクープハンターの落武者狩りの回は好きだった
14 :名無しさん@涙目です。 ID:KcEN0Ker0.net
それぐらいたくましくないとね
15 :名無しさん@涙目です。 ID:HwsHC+1O0.net
鬼婆って映画でみた
21 :名無しさん@涙目です。 ID:n5ppGUrY0.net
>>15
先に書かれた
36 :名無しさん@涙目です。 ID:YlSh8hvV0.net
>>21

17 :名無しさん@涙目です。 ID:S/cuculJ0.net
落ち武者を親切にかくまうふりして毒盛って殺しちゃう農村もあったような
27 :名無しさん@涙目です。 ID:xxjNiSSN0.net
>>17
四つ墓村かよww
18 :名無しさん@涙目です。 ID:/xPqboRm0.net
この頃からリサイクル大国としての片鱗があったんだろうな
落武者なんて資源が歩いてくるようなもんだし







23 :名無しさん@涙目です。 ID:7xHQT/030.net
農民は合戦で村に被害が出ないように両軍に金渡してた
だから死体漁りや落武者狩りして金作るのよ
25 :名無しさん@涙目です。 ID:MJtzYgRE0.net
戦場のお掃除はそこに住む農民の役目だしね
26 :名無しさん@涙目です。 ID:lqLt4Cun0.net
農地荒らされた報復と保証金代わりだぞ
32 :名無しさん@涙目です。 ID:MJtzYgRE0.net
黒澤の習性のテーマは英雄は死に凡夫が生き残るでしょう
この人類史に於る普遍的要素を七人の侍で描ききったんで巨匠と呼ばれるようになったんだし
黒澤からしてみれば描ききるのが早かった思いはあるだろうけど だってその後の作品は蛇足だもん
48 :名無しさん@涙目です。 ID:dcgo8U4o0.net
>>32
本当は六人の侍だったんだよね。
菊千代を入れた脚本は凄い。あれで侍と百姓の人物描写が大変広がった。三船敏郎を大根言う奴は七人の侍最後まで観てないんちゃうか。
35 :名無しさん@涙目です。 ID:IIM6m/pI0.net
いやいや、農民の状況は様々だろ
江戸時代以前は戦のたびに駆り出され、食料は強制で出さされ
領内に侵入した軍勢に村は焼かれ
てのは頻繁にあったろ

江戸時代は豪農は余裕の暮らしだろうが、小作農は
水呑百姓生かさず殺さずの生活だろ
38 :名無しさん@涙目です。 ID:ix1tEv2/0.net
上杉謙信がわざわざ冬に何度も三国峠を越えて関東に出て来たのは
農民達に出稼ぎさせるためだったって話もあるしな
40 :名無しさん@涙目です。 ID:9Afkkhdi0.net
>>38
戦争儲かり過ぎwwww
みたいな文書も見つかってるよな
50 :名無しさん@涙目です。 ID:IrwPBHC/0.net
>>38
上杉謙信は越後の平野部は青苧の生産で農民の収入を増やすことは
できたけど、山岳地帯はどうしようもなかった

越後の山岳部の小作農民は端境期に飢えに苦しんだので
動員して関東に出稼ぎさせたんだわ

なので農兵の士気はほぼ100%
逃げ帰っても食うものがないので逃げられない、死に物狂いで戦うしかない
上杉謙信最強の理由の一つがこれ
65 :名無しさん@涙目です。 ID:nor/ADM90.net
>>38
関東に農民をリクルートしに行ってた。
生産力上げるには人間が必要だけど畑から生えてくるもんじゃないしね。
待遇としては今の派遣社員に近い。
話と違うと他に出て行っちゃうし、反乱起こされるので管理する側も気を使った。
39 :名無しさん@涙目です。 ID:17KEGhdb0.net
毎日農業で筋肉鍛え上げた農民が弱いわけないんだよなぁ
42 :名無しさん@涙目です。 ID:Imq3smOi0.net
>>39
繰り返し戦争に出てるし、
自分の土地を守ると言う執念が物凄いよ。
41 :名無しさん@涙目です。 ID:pyuprL5n0.net
つーか下っ端農民=雑兵だから
貧乏百姓の家を継げない次男三男が一旗夢見て戦場に行く
まあこの辺は明治や大正もそう変わりなく武将から軍隊に代わっただけだが
43 :名無しさん@涙目です。 ID:JXnoBjrJ0.net
バカボンドであったなそういうシーン。まぁ持ち主死んでるんだしいいんじゃね?
45 :名無しさん@涙目です。 ID:lqLt4Cun0.net
戦場になった村は一定期間の年貢免除の制度なんかもあったけど
領地化じゃなくて略奪目的の戦なんかもあるし
田畑荒らされた補償として落ち武者狩りでもやらないと割が合わない
47 :名無しさん@涙目です。 ID:cMwqoEiF0.net
今、再放送している大河「風林火山」がそんな感じだな。「さあ合戦だ、乱取りだ」と
百姓どもが喜び勇んで雑多な武器を身につけて大喜び。
53 :名無しさん@涙目です。 ID:KHDZFF450.net
>>47
元々、百姓だった
伝兵衛と太吉は百姓じゃ生きていけないから
太吉は勘助の家来になり
伝兵衛も武士になった
ラストの勘助の首を胴体を持ち帰ってきたのは泣いた
49 :名無しさん@涙目です。 ID:XnN6BNLo0.net
戦国時代までは武士=農民だからね
戦国大名ってのは農民の親玉
兵農分離ってことはその前は兵農一致ってこと
刀狩りは誰から刀を狩ったんだろう
52 :名無しさん@涙目です。 ID:RaRmZD89O.net
明智光秀や小西行長は落ち武者狩りにやられたが、
宇喜多秀家は美丈夫だったためか、農民に匿われて薩摩まで落ち延びた
結局、八丈島に流されたがその地で八十余歳の天寿を全うした
54 :名無しさん@涙目です。 ID:4y/hVDuN0.net
上杉謙信最強!とか言ったって、その例だと関東出兵しか最強の条件を満たしてねえじゃねえか。
しかもそれだって、尻尾巻いて逃げる以上の成果なんて残してないしな。最強だった理由は
確実に違う点にあるし、実際のとこ単に攻め込まれて負ける事がなかったから後世に
最強だ何だとの逸話が残っただけだわな
56 :名無しさん@涙目です。 ID:71crG+EU0.net
七人の侍の農民は愚民の象徴。
57 :名無しさん@涙目です。 ID:ZB+7MtNx0.net
西洋じゃ傭兵達もやってますよ
59 :名無しさん@涙目です。 ID:C5+iNuCO0.net
農民たちが弁当持って合戦見物に来てたってのはいつの時代の話なんだろうね
62 :名無しさん@涙目です。 ID:oo+YH3km0.net
>>59
そいつらはただ見物してたんじゃなく戦後の落ち武者狩りも目的だったと思われる
60 :名無しさん@涙目です。 ID:KoGIf6iA0.net
そういえば、不作の年なんかは
ちょっくら隣を襲撃するか!って軽いノリで村同士の戦争も珍しく無かったんだよな

秀吉の刀狩は、農民同士の殺し合いを減らす目的もあった
61 :名無しさん@涙目です。 ID:oo+YH3km0.net
南部「農民が弱者とは笑止」
66 :名無しさん@涙目です。 ID:p8e12FlB0.net
俺の先祖は江戸時代には農民だったけど
戦国自体は国衆の1党だったから伝来の刀と槍がある
具足や弓もあったらしいが手入れしてないから駄目になったと祖父から聞いまい
67 :名無しさん@涙目です。 ID:+yDVrUgz0.net
田んぼや畑を再起不能にされるんだからそれくらいはいいだろ
68 :名無しさん@涙目です。 ID:1eEbOpnE0.net
ウチ農家の家系なのに槍が二本あるのはそういう事なのか
70 :名無しさん@涙目です。 ID:0QHughsd0.net
>>68
うちも爺ちゃんが農家だったけど、離れの納屋に槍とか刀あったけどあれどうしたんだろう







74 :名無しさん@涙目です。 ID:FX2N44aU0.net
>>70
うちも代々農民の家系だが、古い土蔵に薙刀が大切にしまってあるなあ
元寇の時に、武将のお供として掛け参じた時のだって聞いてるけども
78 :名無しさん@涙目です。 ID:5Qg8jGSl0.net
>>68
武士から農民になった家もあるし、農民から武士になって農民になった家もあるし、普段は農民やってるけど戦になったら武士やったり、徴兵されて足軽やる家もある。

ゲームみたいにいきなり足軽が湧いて出てくるわけではないんで。
71 :名無しさん@涙目です。 ID:9KKfdiLT0.net
ていうか、戦国時代は身分制度が
崩壊ぎみで、転売厨とか舐めてると
痛い目みる
72 :名無しさん@涙目です。 ID:xxjNiSSN0.net
江戸以降も平時は百姓で有事は足軽なんて身分制が藩によってあったからな
鉄砲を持つ百姓が有事は鉄砲足軽隊に組み込まれれる藩もあった
73 :名無しさん@涙目です。 ID:sCTdCzwA0.net
賤ヶ岳の合戦の敗将を落武者狩りで捕らえて
褒美を期待して秀吉に付き出した百姓達は
「差し出がましいことを・・褒美に磔にせよ!」と逆に処刑されたw
82 :名無しさん@涙目です。 ID:tJsw7uUI0.net
農民もいたが、おもに野盗がやっていた
あと戦場で拾った武器防具は二束三文で買い叩かれることが多かった
84 :名無しさん@涙目です。 ID:uWQ9+q5b0.net
島津隊が関ケ原から逃れ逃亡中山村を見つけたそこで斥候を出して隊を匿うように有力者に頼み込んだ。有力者は承諾した
斥候が本隊を待っていると村人たちは不振な会合をしていた盗み聞きしたところもてなす振りをして皆殺しにする計画を立てていた。斥候は急いで本隊に向かってその旨を伝えに走った本隊は村のすぐ側まできていた。
盗み聞きされたことに気付いた村人たちは武器を手に島津隊に襲い掛かった。
振り替えると斥候と逃げ遅れた兵が次々と討たれたという。
八墓村を地でいく壮絶な落武者狩りを掻い潜り島津隊は薩摩まで帰りついたのであった。
85 :名無しさん@涙目です。 ID:SAGUiEG10.net
農民が奴隷なんて欧米での話でしかない
実際は士農工商と武士の次の地位にしたり五人組で抑え込まないと痛い目を見るほどの一大勢力
一向一揆も見逃される事がほとんど


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